胃癌・胃腫瘍
1. 胃の構造と働き
胃は、食事をして口から入った食べ物が食道を通って一時的に溜められる、袋のような形をした臓器であり、食べ物の消化を助ける重要な働きをしています。胃液と食べ物が混ざり合い、食べ物は消化されやすい状態に整えられ、次の消化器官である十二指腸へと送り出されます。
2.胃がんの進行度
胃の壁は、5つの層(粘膜・粘膜下層・固有筋層・漿膜下層・漿膜)で構成されており、胃がんは、胃壁の最も内側にある粘膜から発生し、胃壁を外側に向かって、粘膜下層、固有筋層、漿膜下層、漿膜へと徐々に深く進行していきます。
がんが胃壁の深い層まで進むと、リンパ管や血管にがん細胞が入り込み、体の他の部分に広がる可能性が高くなります。これを転移と呼びます。転移には主に3つの種類があります。
• リンパ行性転移: リンパ管に入ったがん細胞が、胃の周りにあるリンパ節、さらにはお腹の大動脈の周りや、もっと遠くのリンパ節へと広がることです。
• 血行性転移: 血液に乗って、肝臓や肺などの遠くの臓器にがん細胞が転移することです。
• 腹膜播種: がん細胞が胃壁から、お腹全体(腹腔内)に散らばる転移を指します。
また、胃壁を突き破ったがんは、近くにある大腸や膵臓など、他の臓器に直接広がっていくこともあります(直接浸潤)。
胃がんの進行度を判断する上で、胃壁のどのくらいの深さにまでがんが達しているかを示す深達度は非常に重要な要素です。また、リンパ節転移の数も進行度に大きく影響します。お腹の大動脈の周りやさらに遠くのリンパ節への転移、腹膜播種、肝臓への転移は「遠隔転移」とみなされます。深達度、リンパ節転移の程度、遠隔転移の有無を組み合わせて、胃がんの進行度(ステージ)が決定されます。ステージはIからIVまで分類されています。胃がんの進行度分類は、単に病勢を診断するだけでなく、治療方針を決定する上で非常に重要な出発点となります。
早期の胃がんは、多くの場合、自覚症状がないのが特徴です。しかし、上腹部の痛みや不快感、あるいは出血(吐血や黒色便など)がきっかけで発見されることもあります。進行すると、食欲不振、体重減少、食べ物が通らないことによる嘔吐、貧血などの症状が現れることがあります。


3. 胃がんの治療方法:最新ガイドラインに基づくアプローチ

胃がんの治療は、日本胃癌学会が発行する「胃癌治療ガイドライン」に基づいて行われます。
最新版は2025年3月に改訂された第7版です。
胃がんの進行度に応じて治療アルゴリズムが定められています。
3-1. 内視鏡的治療
内視鏡的治療は、胃がんがごく早期に発見され、がんが粘膜下層までにとどまっており、かつリンパ節転移の可能性が非常に低いと判断される場合に適用されます。
この治療の代表的な方法は「内視鏡的粘膜切除術」です。お腹を切らずに、口から入れた内視鏡を使って行われます。具体的には、がんの病変の下に生理食塩水などを注入して病変を浮き上がらせ、特殊な器具を使って、がんの周りの正常な粘膜を含めて切り取ります。小さな病変であれば、「EMR(内視鏡下粘膜切除術)」という方法です。より大きな病変や、潰瘍を伴う病変に対しては、「ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)」という方法が使われ、病変を一括で広範囲に切り取ることが可能です(下図)。
しかし、内視鏡治療の対象とならないと判断された場合や、切除した病変を詳しく調べた結果、がんが予想以上に深く達していたり、血管やリンパ管にがん細胞が入り込んでいたりした場合は、リンパ節転移の可能性が高くなるため、追加で外科手術が勧められます。


3-2. 外科療法:低侵襲手術の進化とロボット支援手術
手術は、内視鏡的治療適応のない早期胃がん~切除可能な進行癌に対する唯一の根治的な治療法です。胃がんの深さによって早期がんと進行がんに分けられますが、早期がんの段階でもリンパ節転移が起こる可能性があるため、外科療法では、がんのある胃を切除するだけでなく、周りのリンパ節を一緒に切除する「リンパ節郭清(かくせい)」が行われます。リンパ節郭清は、術前検査で転移が明らかな場合だけでなく、予防的にも行われます。完全に治すことを目指す手術は「根治手術」と呼ばれ、がんのある場所や進行度に応じてリンパ節郭清の範囲がガイドラインで厳密に定められています。
胃癌の術式は大きくは4つに大別されます。胃の出口側を切除する「幽門側切除術」、入り口側を切除する「噴門側切除術」、胃の中央部を切除する「幽門保存胃除術」、あるいは胃全体を切除する「胃全摘術」が腫瘍の位置や進行度により選択されます。
従来は開腹手術が主流でしたが、現在では低侵襲手術として、2000年代以降、腹腔鏡下手術が広く普及しています。さらにロボット支援手術は2018年からは保険診療として行えるようになり、その安全性と有効性に関する研究が進むにつれて、急速に増加しています。ロボット支援手術は、術者が操作システム(コンソール)からロボットアームを操作して行います。多関節機能を持つ鉗子、高精細な3D画像、手ブレ防止機能を有し、繊細な動作で、複雑な手術を精密に行うことができます。これらの技術的な進歩は患者さんにとって大きなメリットをもたらします。
食道胃接合癌
食道胃接合部の口側~肛門側2cmに腫瘍の中心が存在するものを食道胃接合部癌といいます。腫瘍の食道浸潤の程度に応じてアプローチ(胸からorお腹から)、リンパ節郭清の範囲が選択されます。




3-3. 薬物療法:免疫療法と抗体薬の最前線
薬物療法は、いわゆる細胞障害性薬剤、分子標的薬、そして免疫チェックポイント阻害薬を使用する治療の総称です。その目的は、がんの進行度や治療段階に応じて使い分けられます。
薬物療法は、術前化学療法、術後補助化学療法、切除不能進行再発胃癌に対する薬物療法に大別されます。術後補助化学療法は、手術でがんが取り切れた後、目に見えない小さながん細胞が残っていて再発するのを防ぐことを目的とします。根治切除術後にStageIIもしくはIIIと診断された場合には、術後補助化学療法が推奨されます。術前化学療法は大型もしくは、大きなリンパ節転移を伴うcStageIIIを対象に行われます。切除不能進行再発胃癌に対する標準治療は薬物療法であり、がんの進行を抑えたり、症状を和らげたりする目的で行われます。
近年、胃がんの薬物療法は、がん細胞の特定の分子を狙う「分子標的薬」や、その抗体に細胞毒性薬(化学療法薬)を結合させた「抗体薬物複合体」、そして免疫チェックポイント阻害薬の登場により、大きく進歩しています。切除不能進行胃がんの薬物療法は、がん細胞の特性を詳しく調べるバイオマーカー検査に基づいて、最も効果的な薬を選ぶ「個別化」が急速に進んでいます。これにより、患者さん一人ひとりの病状に合わせた、より良い治療効果が期待されています。胃癌治療ガイドライン第7版では図のような薬物療法が推奨されています。
HER2陽性胃がんに対する治療: 胃がん全体の約20%に、HER2というタンパク質が多く現れています。これらを「HER2陽性胃がん」と呼びます。このタイプのがんには、HER2に作用してがん細胞の増殖を抑える分子標的薬「トラスツズマブ」が併用されてきました。さらに、最近では、一定の条件を満たす場合に限り、トラスツズマブに免疫チェックポイント阻害剤を上乗せする治療が推奨されるようになっています。また、三次治療以降では抗HER2抗体に細胞障害性薬剤を結合させた「抗体薬物複合体」である「トラスツズマブ デルクステカン」が使用可能です。
Claudin (CLDN)18.2陽性胃がんに対する新たな治療: 2024年には、「CLDN18.2陽性」の胃がんに対する新しい抗体薬「ゾルベツキシマブ」が承認されました。CLDN18.2は、胃粘膜の細胞間に存在し、隣り合う細胞同士を接着するタンパク質であり、がん細胞では細胞表面に露出すると考えられています。ゾルベツキシマブはこのCLDN18.2に結合し、これを目印に免疫細胞や補体と呼ばれる物質ががん細胞を攻撃します。
免疫チェックポイント阻害薬は、がん細胞が体の免疫細胞にかける「ブレーキ」を外すことで、免疫細胞が再びがん細胞を攻撃できるようにする治療薬です。免疫チェックポイント阻害薬の効果を予測する指標として、がん細胞のPD-L1の発現レベルや、遺伝子異常の一種であるMSI-High(高頻度マイクロサテライト不安定性)またはdMMR(ミスマッチ修復機構欠損)が挙げられ、MSI-High/dMMRの胃がんでは、免疫チェックポイント阻害薬が特に高い効果を示すことが知られています。最近では、切除不能進行再発胃がんの一次治療として、抗がん剤と免疫チェックポイント阻害薬を一緒に使うことで、生存期間が延びる効果が示されています。


3-4. 放射線療法
放射線療法は、胃がんそのものに対する効果が比較的弱く、照射する範囲が広範囲となるため、基本的には行われません。しかし、がんが脳や骨、特定のリンパ節などに転移した場合に、その転移部位の症状を和らげたり、腫瘍からの出血を抑えたりする目的で、放射線が照射されることがあります。